2013年10月17日木曜日

「わたしはロランス」美しく燃え盛る男と女



美しい ───!完璧に。
人間の美しさを、みせつける、完璧に美しい映画だ。

人を美しくするもの ───、それが何かを、考えさせられる。
人を美しくするもの、それは人の心だ。
人の心がその人の容姿を美しく作り上げる。
そして、その美しく激しく熱く燃える心と心がぶつかり合う。
そう、これは愛の物語だ。
愛するために、愛する人とすれ違う、哀しく狂おしい愛に圧倒され、打ち震える。

この映画には引き込むような強い眼差しに溢れている。
冒頭のシーンをはじめ、ぶしつけに注がれる眼差しが、黙ってこちらを威圧する。
その眼差しはロランスに注がれている。
35歳、大学?の国語教師であるロランスは、性同一性障害から女として生きることを決めた男だ。
彼は、同棲する彼女のフレッドに、35年間秘めていた秘密を打ち明けた。
今ロランスは晴れて女のいでたちで街へ出たのだ。
判りやすく言えば、女装をしたおじさんだ。
彼(彼女)が、これまでの短髪のまま、化粧と女装だけをして大胆な告白に挑むのも潔くていい。
彼は長年秘めて来た秘密を一遍にさらけ出し、闊歩する。
みなの反応におののきながらも、やがて再び生きかえった花のように誇らしくみずみずしく美しく輝いていく。
その時の緊張から爽快感へと一気に飛躍する気持ちよさったらない!!

だがその爽快感は長くは続かない ───。

女になりたかったロランスを愛する彼女のフレッドは、男性であるロランスを愛している。
男が好きなのに、自分の男が女になろうとしてる、、、その戸惑いと絶望感。
女になりながらも、女のフレッドを愛しているロランス、本当の自分を素直に受け止めてもらえない恐ろしさと孤独感。
二人の愛は行き場をなくし、怒り、嘆く!どうしたらいいのか、解決できず、二人は怒濤のようにぶつかり、そして傷つき、別れる。。。
おお、愛してる!なのに愛したくない!
愛せない!愛されない!もう、どうしたらいいのーッ!
設定、脚本、演技、演出、本当に文句のつけようがないほど見事だ。

更にこの映画の、圧倒的な映画的な美しさも見逃せない。
全編に渡り素晴らしいシーン、ショットであふれているが、特にクライマックス、ロランスと別れ、家庭を持った暮らしをおくるフレッドが、ロランスから送られた彼の詩集を読まずにはおれない。そしてその読んだ詩に打ちのめされた彼女に、頭上から滝のような水が降ってくるショットにクラクラする!そして、フレッドがロランスに手紙(あなたは全ての境地を突き破った。あとは木の扉だけ・・)を送り、フレッドの元に駆けつけるロランス、二人が稲妻のように再開、結ばれる。続いて逃避行先の地、イル・オ・ノワールで歩く二人を祝福するように女性のカラフルな服が舞い降りてくるショットまでの幸福感に、完全にノックアウトとなる。そしてその夢の時間の後に一気に押し寄せて来る現実。。。本当にたまらなく、うなるほど素晴らしい!
映画を見ている間中、まるで自分が出逢った素晴らしい映画に恋に落ちてしまった高校生の時のような、純で熱いムンムンする気分が沸き上がってきた。
人生って素晴らしい!人って美しい ───!

だが本当に一番驚いたのは、こんな大人の愛の傑作を撮った監督が、まだ24歳の若者で、しかも3作目、デビュー作は19歳で男前で色男で主演もしているという逸材であることだ。更に彼自身のオリジナル脚本である。(どうしてこんな大人の男女の会話がつらつら続く映画の本を24歳で書けるのだ!?)
正に天才!この監督さん、グザヴィエ・ドランには映画の神様が神々しいくらいに宿っています。
おお、映画の神様ありがとう!
この天才が若死にせず、まだまだ映画の傑作を生み出していくことを願わずにはいられません。

僕は映画の奇跡を見た。どこまでも美しい映画で、どこまでも人は美しくなるべく精進するべきだと思い出させてくれた。
僕らはいつでも、鏡を見て、自分が美しいかを確かめる必要があるだろう。
そして、心がちゃんと美しいか、確かめるべきだ。
それから、その現状を素直に受け止め、謙虚に心を磨くべきなのだ。
いつでも、自分であるように。
さあ、億劫な足を前に出して、鏡を視に行こう。

自分も、美しくなりたい!
汚れた心を洗い流して清めたい!と思ったなら、とにかく ───、わたしはロランスにしやがれ!

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