2014年2月23日日曜日

「イントゥ・ザ・ワイルド」若者の果てなき希望と絶望



この映画は、とても残酷で辛い結末なのに、見終わって、何故こんなにも清々しくいれるのだろう?
この映画には、若者が世界の中へ強く羽ばたき生きていくことの希望と絶望が詰まっている。
あなたがまだ社会に出る前の若者なら、今すぐこの映画を見て欲しい。
そして、もし自分が同じ立場やシチュエーションに置かれたら、どんな行動をとるか、想いをめぐらせて欲しい。

この話の主人公、クリスが、大学を卒業して家を出るとういう行動はごく普通の決断だった。
人の人生で、若者ほどセンスティブで傷つきやすい時期はないだろう。
若者にとって、世界の中心は自分であり、自分の命は自分のものであり、自分の人生を決める自由と恐怖が渦巻いている。
だから若者は今すぐ親元を離れ、育った家を出て行かねばならない。
人生には、たった一人、自分の居場所を探すべく、大きく限りない未知の世界へと飛び込んでいく飛躍の時が必要なのだ。
そしてはじめて自分自身の力で生きることがどんなことかを知る。
世界はあまりに冷淡であり、同時に寛容で美しい。
その幸福に気づかない若者は、今すぐに、それを身を持って知らねばならない。と僕は思う。
自分の自由と恐怖を昇華するのだ。
やがて、一人で生きるなかで、親の支援の大きさを知り、
愛する人ができて、愛することを知り、
子供が生まれて、人がつながって社会や世界や歴史になっていることを知り、
自分の人生が自分だけのものでなく、家族や世界のものでもあると知るだろう。

しかし、親元を離れたクリスは、普通の若者が目指す都会ではなく、それとは真逆の誰もいないアラスカ、荒野へ向かった。
クリスは何故、わざわざ生きることが困難な荒野へ向かわねばならなかったのか?
一見、クリスの行動は、人間や社会からの逃避に思える。理解しがたい行為だ。
だがクリスは、生きることを知るために、あえて人間のいない荒野へ向かったのではないか?
同時に、クリスの行動は、この世界には安全で幸せに暮らせる場所があるのに、人はその気になれば、死と背中合わせの過酷な場所へ行けるという恐ろしいまでの自由を突きつけてくる。
誰もしたがらないことに、クリスは挑んだ。
そして映画は、自由を選んだクリスに、自由であることの希望と絶望を見せつける。

特に衝撃的なのは、辿り着いたアラスカの地、クリスが空腹で倒れそうになりながら、食べ物を探し、巨大なヘラジカを仕留めるシーンだ。
なんとかしとめたヘラジカから肉を切り出し、それを燻して保存できるようにしようとしていると、虫がわいてしまう。
結局クリスは一口も口にすることがないままヘラジカの肉の全て、つまり命を無駄にしてしまう。
クリスは自分の無力さをまざまざと思い知らされる。
今わたしたちはスーパーに行けば肉を簡単に買える。買うものはすぐに食べられる肉であり、牛や豚ではない。
だから今のわたしたちに自分自身で動物を殺してその肉を食べることができる人はほとんどいないだろう。
そうして普段肉を買って食べることはごく気にならないほどの当たり前のことなのに、荒野では、一人では命を食べ物に変えることができない。
クリスがせっかく奪った命を無駄にして、全てが徒労に終わったと知る瞬間はあまりに辛い。
自分は自由でなんでもできるはずなのに、結局何もできない不自由さに絶望し、打ちのめされる。
自由は、あまりに過酷で厳しいのだ。

そうして空腹でやせ細ったクリスは死ぬ。
だがクリスの死はその事実よりは悲劇的ではない。
なぜならば、クリスはただ夢見るだけでなく、実際に荒野へ向かい、そこで生きることに立ち向かったからだ。
それは称賛されるべき行為だ。
クリスは、人が厳しい人生をあえて選択できるという人の自由を、身を持って証明した。
だから、衰弱して死ぬ彼を見なくてはならぬラストシーンで、その結末の惨さに反比例して彼への称賛の気持ちがが押し寄せてくる。
死んだ魂のごとくパンアップし空に舞い上がるラストショット。虚しいはずなのに、清々しく感じてしまう。
クリスはその偉大な経験を、彼の人生に生かすことはできなかった。
荒野へ向かい死んだクリスは馬鹿者だったのか?
多分その通りだろう。
でも決して誰も彼を馬鹿にできない。
彼は行動した。
誰よりも強く、無謀に。。。

人は荒野へ向かうべきだ。
たとえ若者ではなくても。
いつでも。
どこでも。
そして何度でも死んで生き返り、また荒野へと向かうのだ。
きっと誰もクリスの行為を真似できない。
でもその"無謀な心意気"は、真似るべきなのだ。

もしあなたが若者なら、
親元を離れ、美しくも厳しい広大な世界に向かって飛び込みたいなら、
自分の居場所に絶望していたら、
今とは違う偉大な未来を夢見ていたら、、、
「イントゥ・ザ・ワイルド」にしやがれ!


 2007年。ショーン・ペン監督。

2014年2月10日月曜日

「ウルフ・オブ・ウォールストリート」破滅へと突っ走る、人でなしたちの破天荒で痛快な喜劇



愉快、痛快、大爆笑 ───!
人でなしのディカプリオ、最高です!
証券詐欺で、人をだまして金持ちに成り上がる人でなしたちの、破滅へと突っ走るハチャメチャなサクセスストーリーである。
なんと映画の80%に渡って、登場人物たちが切れまくる!
アドレナリン全開の馬鹿まるだし!ディカプリオ、わめきまくりです。
テンション高過ぎで、叫び、暴れ、唾もよだれも尿もスペルマも全てをまき散らしながらメチャクチャやり続けてくれます。
酒池肉林に留まらず、薬をヤリながら仕事をして、人をだまして金を巻き上げ、豪快に浪費、豪遊し、狂乱し、欲望のおもむくままに突き進む。
その登場人物たちのダイナミックな傍若無人ぶりに、面食らってのけ反ります。
隣にいたら超迷惑な奴ら。けれど、こんなパワフルな人達、見たことない!!
悪事のレベルに反して、彼らと一緒に気持ちは高まり浮かれちゃう!
映画を見るだけで、全く倫理に反する危ない陶酔を味わってしまえる映画なのである。

レオナルド・ディカプリオ演じる主人公のジョーダン・ベルフォート(通称ウルフ)は、本当に冗談のような男だ(失礼)
彼の巧みなセールストーク、話術は本当にスゴイ? Yes
その絶妙なトーク、または違法行為で、彼は人をだました? Yes
つまり彼は人の欲をあおった? Yes
彼を信じてしまった被害者も、欲にかられた? Yes
けれど短い間だが、彼に夢を見せてもらった? Yes
彼がそうして次々と人たちをはめていく様は爽快か? Yes
しかも彼がそのトークの技を、社会のくずのようなドラックディーラーに手ほどきし、彼らが素直に身につけ、会社がどんどんでかくなっていくのは大したものだ? Yes
そしてその結果、彼とその仲間が大金持ちになってゆく様は、見ていて快感だ? Yes
ジョーダンも仲間も本当に人生を楽しんでいる? Yes
けれどやっぱり、彼らは人でなしである? Yes
彼も仲間も狂っている? Yes
それでも彼らのパワフルさには圧倒され、思わず楽しみ、正直惹かれる? Yes
彼と仲間の突拍子もないハチャメチャな生き様に、一緒に熱狂した瞬間があった? Yes
おっと、そうなんだね。なら、気をつけな。彼らが突っ走っていく先は、破滅だからね。一緒に落ちないようにね。うふふ。

そう、思えば本作品のマーティン・スコセッシ監督の「タクシードライバー」や「ギャング・オブ・ニューヨーク」の登場人物たちも同じように破滅に向かっていた。けれど、この映画の登場人物はこれまでのスコセッシの映画のように苦悩に満ちてないところが逆に嬉しい。同じ破滅に向かっていても、底抜けに陽気で明るく馬鹿で痛快だ。
罪悪感を持たない彼らは確実に反社会的だけれども、憎めない。
なぜなら、もともと彼らは、やり手には見えないドラッグディーラーなど社会のはみ出し者だからだ。そんなダメ人間たちが、主人公ジョーダンの話術を素直に吸収し、実践し、ジョーダン同様に顧客を獲得し、その達成感に快感を得ていく。やり方は間違っているが、ダメ人間なりに、人生を謳歌している、努力しているのだ。だから彼らの快感に共感して嬉しくなってしまう。
間違っていると判っているのに、惹かれてしまう。
正しくないことに惹かれる ───。その人間の面白さと、先の悲劇を、説教をせずに永遠と見せつけてくれるところがまたイイ。
馬鹿を続ける彼らの姿を永遠見続ければ、誰だって最後は呆れ果てて、哀しくなってくる。
その行く末は、社会の制裁。そして彼らの家族のように、皆離れていってしまうのだ。。。
真面目に言えば、この映画は、強欲な登場人物たちの強欲な生き様をとことん見せつけることで、その行き過ぎに警鐘を鳴らしている。

でもふと思う。日本人には、こんな笑っちゃうほど罪悪感ない強欲人間はどれほどいるだろうか?
ウルフたちの生き方、考え方と行動に呆れると同時に、そのパワフルな欲望を自制しない生き様に、羨望を抱かずにはいられない。
人でなしの彼らからみたら、満員電車に疲れ顔で通勤する普通の人達は、何が面白くて生きているのか判らないゾンビのように見えるのだ。
実は僕らも、人でなしの彼らと同じように何かが間違っているかもしれない。

この映画は、人の欲望についての映画だ。
欲望は、人が生きるための潤滑油だ。
人に、欲望が足りなければ、面白みがない味気ない人生になるが、欲望が深すぎれば、どこかで破滅する。
この人間の欲望の果てに、文明社会が発達し、豊かに便利になり、同時に世界が破壊されていくのだ。
強欲は正しいか?
いいや、正論でいえば正しくない。
けれど強欲だからこそ、キラキラ光っている時もある。
だから、無欲で平凡で人でなしにもなれていないぼくたちは、ウルフたちの爪の垢くらいは飲むべきだろう。
たんぱくならば、欲を出せ!
もっともっと欲張りになるべきだ!破滅の沼に落ち入らない程度に ───。

馬鹿を見て大いに笑いたい。欲張りで、パワフルになりたい。でもちょっとだけ真面目に生き方を考えたいなら、、、「ウルフ・オブ・ウォールストリート」にしやがれ!


追記1
映画の冒頭、証券マンとしてウォール街の一流証券会社に就職したジョーダン役のレオナルド・ディカプリオの面倒を最初に見てくれる先輩証券マン役が、マシュー・マコノヒー。この二人のランチシーンに、のっけから大爆笑。マシュー・マコノヒーのキャラとその演技が最高なのである!ランチしながらドラッグをやり、妙ちくりんな歌を歌う。そして顧客が株で儲けたら、必ず別の株を売ること。顧客から手数料を取ることだけに専念しろというアドバイス。その非人道的な理論を正しいことのように静かに淡々とユーモアを持って語るマシューにディカプリオが打ちのめされ洗礼を受けるのだが、同時に観客もマシューの演技に洗礼されてしまう。マシューはこの冒頭とほんの数シーンしか出て来ないのだが、映画の方向性を決める強烈な印象を残してくれる。このランチシーンだけ何度も見返したい!マシュー最高です!
(マシュー・マコノヒー、2013年公開の「ペーパーボーイ 真夏の引力」も凄い役&演技でした。)

追記2
本作全編に渡って面白いエピソードがてんこ盛りなのだが、次に圧巻なのは、ジョーダンが、相棒ドニー(ジョナ・ヒル)と発売禁止になった幻のドラッグ(通称レモン)をキメて修羅場になる一連のシーン。二人とも、歩けないほどトリップしたところ、最後ドニーが食べ物をのどに詰まらせて死にそうになる。ヨダレをたらしながら這いつくばってそれを助けようとするディカプリオ。恐ろしく真剣なシチュエーションなのに、ふらふらぐでぐでのお馬鹿な動きでその困難を乗り越えようと格闘するディカプリオ。その間抜けさと反比例するようにディカプリオの名演技に参ります。

追記3
馬鹿なことを真面目に永遠やり続ける登場人物たちを描く凄い映画と言えば、「ビッグ・リボウスキ」が真っ先に思い出されるが、この映画と比べてみると「ウルフ・オブ・ウォールストリート」は強欲社会への警鐘的意味合いが強い大変真面目な映画であることが判る。笑って楽しめる映画が笑い事か、笑い事でないかという違いである。

2014年2月2日日曜日

「ツリー・オブ・ライフ」果てしなき俯瞰から眺める"命"の世界


思い切り期待を裏切りられた!
ブラッド・ピットとショーン・ペーンの濃厚な父子話を期待してたのに、そんなドラマは微塵もない。
僕は、そのあまりの裏切り様に、笑ってしまった。(もちろん、笑える映画でもない)
けれど、僕はこの映画が、面白かった。恐ろしく、最高に、お気に入りの映画だったのだ!
そこには自分の期待を遥かに超える、濃厚な時間があった。
それはとてつもなく驚異的な世界観だ。その予想外の体験に、僕の心は反響した。
こんな映画の表現が、まだ世の中にあったんだ ───!!
映画を見る間、映画そのものより、その"未知との遭遇"を味わっていることに感動して、映画館の椅子の中に沈んで行ってしまいそうだった。

しかし、何故、この映画は、面白いんだ????
それを解き明かすことは、この映画を面白いと思う人の使命に違いない。
なぜなら、この映画はきっと、大概の人に受け入れ難い映画であるからだ。
この映画を、普通に真面目に見たら、きっと意味不明で訳がわからないものだと思う。
それは、この映画に、普通の映画にあるセオリーがないためだ。
つまり、「主人公が避けられない困難に遭遇し、それに立ち向かい、乗り越え、何かを成し遂げ、または失敗挫折し、カタルシスを得る」─── という流れだ。
もし見る人が、そんな映画らしさ(映画の達成感)を期待してたら、この映画は見るに堪え難い代物であり、無惨な体験をするだろう。
僕は、この達成感を抱く映画を否定してる訳ではない。
スターウォーズ、ロッキー、ET、スタンド・バイ・ミー、用心棒、素晴らしき哉、人生!などなど古今東西の名作映画の数々、、、
それら主人公の行動を緻密に積み上げて感動させる映画の美しさ、楽しさに魅せられている。
例えそれが悲劇的な結末になろうとも、主人公が困難に立ち向かうストーリーこそ映画の王道だと思う。

しかしながら、僕は天の邪鬼でもある。つまり、その王道をあえて踏み外す、パイオニアも大好きだ。
この映画は、そんな映画の道を逸脱している。
普通にあるべき物語さえ否定しているように思える。
観客が目にするのは、父と子。兄弟。家族。軸になる人間関係を断片的に切り取ったシーンである。
しかし、それら断片的なシーンとシーンが積み重なって、相乗効果を上げる作りにもなっていない。
一見すると、とりとめない映像が連なる映像詩のようだ。しかし、ただの映像美、格好をつけた実験映像という訳ではないはずだ。
何故ならば、僕はこの映画に感情移入をしたからだ。
何故、こんなとりとめない端切れのような映画に、感情移入してしまうのだ?

きっとそこにこの映画を面白いと思う秘密が隠されているのではないか。
この映画は、一見、ぶつ切りの記憶が、不規則にとりとめなく流れ出ているだけのようだが、俯瞰で眺めると、そこに突如大きな一つの形が浮かび上がってくる。
シーンシーンが積み重なり、物語ではなく、一つの集合体になっているのだ。
ドラマでなく、ある人生の一部を切り集めた集合体。。。

いや、、、人生というより、もっと遥かに大きい、巨大な生命体、ガイア、命。。。
そう、そうだ、この映画は命の集合体、「命」そのものを描いているのだ!!!

しかも、恐ろしいくらいの俯瞰から見た「命の世界」だ。
過去から現在、ミクロの細胞から、マクロの宇宙の果てまで、時空と空間を超えて、映像が行き交い、突き抜ける ───
そして、マクロなのかミクロなのかも判らなくなる。
更にこの映画が本当に凄いのは、宇宙の果てからミクロの原子までを描きながら、同時にごく普通の日常を描いていることだ。
思春期の主人公がふと出来心で隣の家に忍び込んで、お姉さんの下着を盗んでしまうシーンと、ある太古の時代、黄昏の空の下で餌を求める恐竜のシーンが共存する摩訶不思議さ。
しかもそれらは、違う次元でなく、同じ次元で、同じ価値を持っている。そこが凄い。
これまで時間の流れや存在する場所を超越した映画はあったと思うが、この映画は時間や場所だけでなく、すべての次元を超えている。
これほどスケールのでかい映画があるのだろうか。想像するしかない大きさの世界を見事、可視化しているのだ。
ガイア、命そのものを見ていたら、そこに確固たるドラマがなくても、心が動かされてしまう瞬間があっても納得できる。
どんな出来事でも、命があるからこそ、起きているのだから。

ドラマとは何か?
あらためて思う。
僕は、映画とは人間を描くものだと思っていたが、この映画は人間というよりも命を描いている。
そういう映画もありかもしれない。
瑣末でちっぽけな僕には、なんだかあまりにも大き過ぎて偉大過ぎてよく判らない命。でも素晴らしいと感じられる命。
多分ありきたりに言えば、理解するのではなく、ただ見て、感じればよいのだと思う。
ドラマを見て感動するというよりも、映像が紡ぐ命の響きに反応、共鳴するのだ。

あなたの心を、あまりに偉大な命の深淵に共鳴させてみたいなら、、、「ツリー・オブ・ライフ」にしやがれ!


追記1
ツリー・オブ・ライフ、命の木。。。木は、フラクタルの象徴のようなものだが、人間の身体の中にも、同じ世界(血管やシナプスなど)が広がっている。それと同じように、この世界は、ミクロからマクロまで、どこまでも樹の幹のように果てしなくつながっているのだ。この感想を書いてみた後、映画のタイトルの意味がすんなり入ってきた。

追記2
僕はこの映画の監督、テレンス・マリックの映画はこの映画が初見だった。なんだか食わず嫌いであったことを悔やみ、この映画を見てから、このマリック氏の映画をあらためて見てみる。「天国の日々」「シン・レッド・ライン」 ───。今度は、「ツリー・オブ・ライフ」のノリ(テレンス・マジック)を期待し過ぎたせいか「ツリー・オブ・ライフ」ほどのインパクトは味わえなかった。しかし、なるほど。美しい映画です。マリック氏が映画人達に多大な影響を与えていることに今更ながら納得。(ちなみに本作は、2012年のカンヌ国際映画祭、パルムドールを受賞している。)そこで更に最新作「トゥ・ザ・ワンダー」も喜んで行ってみる〜〜〜が、残念ながら僕はこの映画は乗れなかった。まさに単なる映像美という感じしか味わえなかった。(「トゥ・ザ・ワンダー」のやりたいことは、核心はないが、きっと「愛」でしょう。けれど、愛は命よりも前にあるから〜、という訳で、このマリック戦法で「愛」を描くのは、この天才監督をもってしても、至難の業であると思う。だって愛は女性のごとく遥かに強く美しく同時に醜く下世話でしたたかで手強いのだ)しかし、この寡作な天才監督、テレンス・マリックの次作に期待しすぎず注目したい。

追記3
この映画のチラシには「父さん、あの頃の僕は、あなたが嫌いだった。。。」とある。これはどう見てもブラッド・ピットとショーン・ペーンの濃厚な父子話に思ってしまうだろう。(もちろん、そんな映画があるなら見たい!)これは確かに集客できそうなキャッチフレーズだが、(僕もそれに騙された)そう思って映画を見た人の大半は、寝るか、腹を立てるかどちらかだったのではないでしょうか?しかし、かといって、これは"命"と共鳴する映画なんですー。という宣伝文句ではお客さんはさっぱり反応してくれなそうだ。例えば、「あなたは、巨大な"命"を目撃する!」。。。なんて、なんだか新しいエイリアンものみたいだ。