2014年2月2日日曜日

「ツリー・オブ・ライフ」果てしなき俯瞰から眺める"命"の世界


思い切り期待を裏切りられた!
ブラッド・ピットとショーン・ペーンの濃厚な父子話を期待してたのに、そんなドラマは微塵もない。
僕は、そのあまりの裏切り様に、笑ってしまった。(もちろん、笑える映画でもない)
けれど、僕はこの映画が、面白かった。恐ろしく、最高に、お気に入りの映画だったのだ!
そこには自分の期待を遥かに超える、濃厚な時間があった。
それはとてつもなく驚異的な世界観だ。その予想外の体験に、僕の心は反響した。
こんな映画の表現が、まだ世の中にあったんだ ───!!
映画を見る間、映画そのものより、その"未知との遭遇"を味わっていることに感動して、映画館の椅子の中に沈んで行ってしまいそうだった。

しかし、何故、この映画は、面白いんだ????
それを解き明かすことは、この映画を面白いと思う人の使命に違いない。
なぜなら、この映画はきっと、大概の人に受け入れ難い映画であるからだ。
この映画を、普通に真面目に見たら、きっと意味不明で訳がわからないものだと思う。
それは、この映画に、普通の映画にあるセオリーがないためだ。
つまり、「主人公が避けられない困難に遭遇し、それに立ち向かい、乗り越え、何かを成し遂げ、または失敗挫折し、カタルシスを得る」─── という流れだ。
もし見る人が、そんな映画らしさ(映画の達成感)を期待してたら、この映画は見るに堪え難い代物であり、無惨な体験をするだろう。
僕は、この達成感を抱く映画を否定してる訳ではない。
スターウォーズ、ロッキー、ET、スタンド・バイ・ミー、用心棒、素晴らしき哉、人生!などなど古今東西の名作映画の数々、、、
それら主人公の行動を緻密に積み上げて感動させる映画の美しさ、楽しさに魅せられている。
例えそれが悲劇的な結末になろうとも、主人公が困難に立ち向かうストーリーこそ映画の王道だと思う。

しかしながら、僕は天の邪鬼でもある。つまり、その王道をあえて踏み外す、パイオニアも大好きだ。
この映画は、そんな映画の道を逸脱している。
普通にあるべき物語さえ否定しているように思える。
観客が目にするのは、父と子。兄弟。家族。軸になる人間関係を断片的に切り取ったシーンである。
しかし、それら断片的なシーンとシーンが積み重なって、相乗効果を上げる作りにもなっていない。
一見すると、とりとめない映像が連なる映像詩のようだ。しかし、ただの映像美、格好をつけた実験映像という訳ではないはずだ。
何故ならば、僕はこの映画に感情移入をしたからだ。
何故、こんなとりとめない端切れのような映画に、感情移入してしまうのだ?

きっとそこにこの映画を面白いと思う秘密が隠されているのではないか。
この映画は、一見、ぶつ切りの記憶が、不規則にとりとめなく流れ出ているだけのようだが、俯瞰で眺めると、そこに突如大きな一つの形が浮かび上がってくる。
シーンシーンが積み重なり、物語ではなく、一つの集合体になっているのだ。
ドラマでなく、ある人生の一部を切り集めた集合体。。。

いや、、、人生というより、もっと遥かに大きい、巨大な生命体、ガイア、命。。。
そう、そうだ、この映画は命の集合体、「命」そのものを描いているのだ!!!

しかも、恐ろしいくらいの俯瞰から見た「命の世界」だ。
過去から現在、ミクロの細胞から、マクロの宇宙の果てまで、時空と空間を超えて、映像が行き交い、突き抜ける ───
そして、マクロなのかミクロなのかも判らなくなる。
更にこの映画が本当に凄いのは、宇宙の果てからミクロの原子までを描きながら、同時にごく普通の日常を描いていることだ。
思春期の主人公がふと出来心で隣の家に忍び込んで、お姉さんの下着を盗んでしまうシーンと、ある太古の時代、黄昏の空の下で餌を求める恐竜のシーンが共存する摩訶不思議さ。
しかもそれらは、違う次元でなく、同じ次元で、同じ価値を持っている。そこが凄い。
これまで時間の流れや存在する場所を超越した映画はあったと思うが、この映画は時間や場所だけでなく、すべての次元を超えている。
これほどスケールのでかい映画があるのだろうか。想像するしかない大きさの世界を見事、可視化しているのだ。
ガイア、命そのものを見ていたら、そこに確固たるドラマがなくても、心が動かされてしまう瞬間があっても納得できる。
どんな出来事でも、命があるからこそ、起きているのだから。

ドラマとは何か?
あらためて思う。
僕は、映画とは人間を描くものだと思っていたが、この映画は人間というよりも命を描いている。
そういう映画もありかもしれない。
瑣末でちっぽけな僕には、なんだかあまりにも大き過ぎて偉大過ぎてよく判らない命。でも素晴らしいと感じられる命。
多分ありきたりに言えば、理解するのではなく、ただ見て、感じればよいのだと思う。
ドラマを見て感動するというよりも、映像が紡ぐ命の響きに反応、共鳴するのだ。

あなたの心を、あまりに偉大な命の深淵に共鳴させてみたいなら、、、「ツリー・オブ・ライフ」にしやがれ!


追記1
ツリー・オブ・ライフ、命の木。。。木は、フラクタルの象徴のようなものだが、人間の身体の中にも、同じ世界(血管やシナプスなど)が広がっている。それと同じように、この世界は、ミクロからマクロまで、どこまでも樹の幹のように果てしなくつながっているのだ。この感想を書いてみた後、映画のタイトルの意味がすんなり入ってきた。

追記2
僕はこの映画の監督、テレンス・マリックの映画はこの映画が初見だった。なんだか食わず嫌いであったことを悔やみ、この映画を見てから、このマリック氏の映画をあらためて見てみる。「天国の日々」「シン・レッド・ライン」 ───。今度は、「ツリー・オブ・ライフ」のノリ(テレンス・マジック)を期待し過ぎたせいか「ツリー・オブ・ライフ」ほどのインパクトは味わえなかった。しかし、なるほど。美しい映画です。マリック氏が映画人達に多大な影響を与えていることに今更ながら納得。(ちなみに本作は、2012年のカンヌ国際映画祭、パルムドールを受賞している。)そこで更に最新作「トゥ・ザ・ワンダー」も喜んで行ってみる〜〜〜が、残念ながら僕はこの映画は乗れなかった。まさに単なる映像美という感じしか味わえなかった。(「トゥ・ザ・ワンダー」のやりたいことは、核心はないが、きっと「愛」でしょう。けれど、愛は命よりも前にあるから〜、という訳で、このマリック戦法で「愛」を描くのは、この天才監督をもってしても、至難の業であると思う。だって愛は女性のごとく遥かに強く美しく同時に醜く下世話でしたたかで手強いのだ)しかし、この寡作な天才監督、テレンス・マリックの次作に期待しすぎず注目したい。

追記3
この映画のチラシには「父さん、あの頃の僕は、あなたが嫌いだった。。。」とある。これはどう見てもブラッド・ピットとショーン・ペーンの濃厚な父子話に思ってしまうだろう。(もちろん、そんな映画があるなら見たい!)これは確かに集客できそうなキャッチフレーズだが、(僕もそれに騙された)そう思って映画を見た人の大半は、寝るか、腹を立てるかどちらかだったのではないでしょうか?しかし、かといって、これは"命"と共鳴する映画なんですー。という宣伝文句ではお客さんはさっぱり反応してくれなそうだ。例えば、「あなたは、巨大な"命"を目撃する!」。。。なんて、なんだか新しいエイリアンものみたいだ。

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