2014年1月10日金曜日

「ふたりのベロニカ」 生を刻む瞬間。やがて失われる人生の美しさと哀しさ



とても大切なのに、その記憶は消え去ろうとする ───。

この映画を最初に見た時の記憶は、とても曖昧だ。
印象的で、一瞬で一目惚れした映画のはずなのに、見終わった瞬間、消えてなくなってしまったような感じだ。
とても大切なのに、愛しいのに、、、離れてしまった途端、その想いとは裏腹に、全てを忘れてしまう。。。
「ふたりのベロニカ」
とても不思議な映画だ。
それから何度もこの映画を見た。けれど何度見ても、この映画は夢のように消えてなくなってしまう。
目にしているのに、見えていなくて、逆に、目に見えないものを、見いているような、なんとも形容し難い余韻だ。そして余韻だけがエコーのように増強していき、ふと描き消える。。。
でも消え去ってしまうのが、嫌じゃない。
人生は、やがて消えてしまう。だから美しいのだ。
ただ、ただただ美しい。
本当に美しすぎる映画だ。

映画には二人のベロニカが登場する。
一人のベロニカは、ポーランドに住む。髪が長い。
音楽学校でピアノを専攻している。
その歌唱力を見込まれ抜擢された晴れ舞台、歌っている最中、観客の目の前で心臓の病に倒れ、そのまま帰らぬ人となる。
もう一人のベロニカは、フランスに住む。髪が短い。
やはり音楽をやっていて、音楽の教師だ。そして同じように心臓を煩っている。
二人はうりうたつだ。音楽の才能がある。心臓が弱い。はつらつして知的で、そして美しく愛らしい。
ただ二人は遠く離れて暮らしている。お互いの存在を知らない。
しかし一人のベロニカがもう一人のベロニカを目撃し、やがてもう一人のベロニカももう一人のベロニカが死んだことに気付く。
すると二人の死と生が交わる。
二人のベロニカを演じるイレーヌ・ジャコブに圧倒される。彼女はまさにミューズ、ミネルバだ。

この映画を見ている時間は、自分がもう一人のベロニカ(第三のベロニカ)になった錯覚にとらわれる。
それは幽体離脱した自分が、寝ている自分を見下ろすようなイメージとでもいおうか。
そして、ベロニカの傍らで、ベロニカの生きているその瞬間、瞬間を目にするのだ。
髪の長いベロニカが、舞台で歌っている最中、突如倒れて死ぬ瞬間 ───。
髪の短いベロニカが、舞台裏の人形師と鏡を通して目が会う瞬間 ───。
駅の構内にある喫茶店でベロニカを待ち続ける人形師を見つけた瞬間 ───。
旅の写真の中にもう一人の自分を見つけ、そのもう一人はもう既に死んでいると悟る瞬間 ───。
それは、やがて失われる人生の美しさと哀しさ。
生を刻む瞬間である。

この映画は、あまりに美しい生の瞬間に満ちている。
その瞬間、瞬間に、あらゆる不思議が込められている。
人と人が出逢うことの不思議。
人生を生きていることの不思議。
人が死ぬことの不思議。
人間という存在の不思議。
自分が生きてる前も、死んでからも、世界が動き続ける不思議。
不思議で、美しく哀しい、今、この瞬間。
この映画は何も語らずに、全てを語っている。

生きている瞬間、瞬間、瞬間を生きる ───。
人が生きる瞬間を積み重ねるように、この映画は、人生を刻んでいる。
これは生を刻む体験だ。

本当に素晴らしい人生の瞬間、映画の瞬間を心に刻みたければ、、、「ふたりのベロニカ」にしやがれ!

追記
本作は1991年の公開。ポーランド出身のクシシュトフ・キェシロフスキ監督は、1996年、惜しくも心臓発作で帰らぬ人となった。キェシロフスキ監督の映画は、素晴らしい映画を数多く残してくれている。旧約聖書の十戒をモチーフにした「デカローグ」、ジュリエット・ビノシュ主演の「トリコロール/青の愛」の悲劇も美しいが、同じイレーヌ・ジャコブを迎えた「トリコロール/赤の愛」の情熱もまた狂おしく素晴らしい。且つこれらサウンドトラックも感激の一品だ。また残された脚本も映画化されており、その一本「ヘブン」もまた美しい映画である。


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