2013年12月5日木曜日

「ヴァン・ゴッホ」 静かにうねり燃え尽きる情念



フィンセント・ヴァン・ゴッホ ───。

生前と死後で、これほど評価の落差が激しい人間はそういないのではないだろうか。
今や世界中で誰もが知る画家は、生涯で描いた3000枚の絵のうち、生前売れた絵はたった1枚とも言われている。
芸術家にとって、生み出した作品が誰にも評価されないという現実ほど、創作活動を続けていくのに過酷で恐ろしい状況はないであろう。
そんなフィンセント(敬意を示すため姓でなく名前で呼んでみる)の人生が、言い知れぬ深い絶望や孤独に苛まれたものであったと想像に難くない。
実際にフィンセントは、自分の絵に対する信念が周囲に受け入れられず、錯乱し、自ら精神病院に入院した時期もあった。
だがそれでもフィンセントは、約10年間、自ら命を絶つ間際まで絵を描き続けた。
彼は、評価されずとも、自分の絵に、誇りと信念を持ち続けていたのだろう。
そうでなければ、3000枚の絵を描き続けることなどできないに違いない。
画家は絵を描くことこそ、生きることそのものだ。だから生きるためには、評価されなくても絵を、描き続けなければならない。もう、どうしても絵が描けなくなてしまう瞬間が訪れてしまうまで。。。


この波乱に満ちたフィンセントの人生は、きっとどこを切り取っても映画になるだろう。
フィンセントの生活、金銭面を援助し続けた画商の弟、テオとの関係。
画家の信念を戦わせ友情を築き上げようとしたゴーギャンとの蜜月と破局。
労働者をモチーフにした重々しいオランダ時代を脱し、印象派の技術を磨いたパリ時代、そしてフランス南部のアルルでの色彩の開花。更に、色彩が溢れ、うねるような情念のタッチを作り出した死までの道のり。
この映画は、そんなフィンセントが、アルル〜サン・レミを去り、パリ郊外のオーヴェル・シュル・オワーズを訪れた、死に至る最後の2ヶ月間を切り取った作品である。

この映画で描かれるフィンセントは、炎の人ゴッホというイメージからかけ離れるほど静かで、人間味やユーモアがある。
僕が思い描いていたフィンセントのイメージは、震え立つ情念を押し殺した無骨で無口で堅物の男のイメージだった。
(未見だが、カーク・ダグラスが演じた映画のゴッホはそんな雰囲気に近いかもしれない)
なにしろ、フィンセントが残した絵の荒々しいタッチとあふれる色彩が醸し出すパワーや情熱が、10年間ほとんど評価されずとも絵を描き続けたという事実と重なることで、その絵にかける情熱の熱さと大きさが、より尋常ではないと想像できるからだ。きっと本人は、その情熱の炎が後光のようにその背面で絵筆のタッチのようにメラメラ燃えているような人だろうと勝手に想像が膨らんでいた。
だが、この映画のフィンセントは、少々変わっているところもあるけれど、一見どこにでもいそうな物静かなごく普通の人に見える。
しかしその肩すかしを食らったような静けさが、実は崖っぷちすれすれに追いつめられていた境遇から発せられるものだと判ってくると、逆に何気ない日常の中だからこそかえって、無言の緊張感が見る者に避けがたい重みを与えてくる。
フィンセントが秘める重圧、恐怖、絶望、孤独。
やがてフィンセントの心は、このオーヴェルの地に来た時点で、もはや死と生とのギリギリを彷徨っていることに気付き、身体が強ばる。
映画で、フィンセントが無言の叫びを発している。
フィンセントの心の奥に秘められた叫びを、この映画は静かに語りかける。その叫びだけを察するだけの映画だと、きっと映画を正視することに居たたまれなくなるだろう。だから、映画は絵を描いている時間と同様に、周囲の人たちとのユーモアある交流を見せる。

ほっとさせるのが、フィンセントを支援してくれる医師のポール・ガシェの家族や弟テオ夫妻とのランチシーンだ。
ガッシュやフィンセントが組んで皆を笑わせる瞬間が、過酷な境遇の中にも人間には必ずユーモアがあることをさりげなく見せてくれる。

また圧巻なのは、パリに行き、弟テオと生活費の負担のことで仲違いした夜、カフェ(パブ?)で、みなと酒を飲み乱痴気騒ぎをして過ごす一晩の描写だ。
(フィンセントは、アルル時代、有名な「夜のカフェ」を描いたとき、「カフェは人を破滅させることも発狂させたり犯罪者にさせたりすることもできる場所であることを表現したかった」と語っている)
弟のテオ、そして娼婦や、肉体関係を持ったガシェ医師の娘マルグリット(この関係は映画の創作らしい)たちと一組づつ腕を組んでステップを踏み、やがて全員がつながり一列に並ぶダンスが、圧倒的に素晴らしい。この時代に生きている人達の、些細なこと、重大なこと、その全てをひとまず棚に上げて、ただただ無心に踊る、その生の瞬間に圧倒され飲み込まれる。
更にその後、フィンセントに訪れる朝、まだ生きている恐怖。マルグリットとオーヴェルに戻る列車の中で、生きることも死ぬことも絶望でしかないその身に、孤独と重圧が一気に押し寄せて来る。

とにかく映画はフィンセントの境遇を細かく説明しない。
だからフィンセントの無念の叫びが聞こえなければ、乱痴気騒ぎをしたフィンセントが、何故拳銃で自分の腹を撃ったのか判らないだろう。
人生は辛いことだらけかもしれない、それでも生きた、最後もう情念の絵筆を走らせられなくなるぎりぎりまで。
フィンセントの悲痛だけれども、人を揺り動かす多くの傑作を描き続けた人生に敬意を示し、その秘めた情念の生き様を静かに見せてくれたこの映画と、それを日本で上映してくれた(追記1)人たちに心から感謝したい。

もし人生に絶望にする時があれば、この映画のフィンセントを見て、死ぬまでは己の信念を持ち続け、やり続ける勇気を学べるかもしれない。
震え立つ情念を静かに持ち続ける人間の生き様に圧倒されたければ、この「ヴァン・ゴッホ」にしやがれ!


追記1
本作品、監督はフランス人のモーリス・ピアラ。制作と公開は1991年。それからおよそ20年の月日を経て、イメージフォーラムで監督の没後10周年を記念し本邦初公開された。

追記2
少々わがままをいえば、このフィンセントが最後にたどり着いた絵画の境地=つまり、うねる荒々しい絵筆のタッチをふんだんに使って絵を描く行程が見たかった。唯一キャンバスをアップで追うショットは、筆ではなくてペンティングナイフが使われていたが、フィンセントは実際ペンティングナイフも使っていたのだろうか?
ちなみに現代絵画では、モチーフは正確にデッサンされていなくても(つまりフォルムが狂っていても)絵画として認識してもらえるが、フィンセントの印象派〜ポスト印象派の1800年代後半の時代はまだデッサンの正確さが絵画のよさを決める重要な指標であったのだろう。だからフィンセントのデッサンが崩れた(象徴的なデッサンの)絵は、当時は前衛過ぎて、多くの人に理解されず、ただ下手くそに見られがちだったと想像できる。この映画の中でも、頭の弱い青年に気が進まずに肖像画を描いてあげたら、僕はこんな耳をしてないと文句を言われてしまう。そんな弱者にさえ否定されてきた哀しみがフィンセントの絵にはある。

追記3
最後のフィンセントの自殺のシーンが、とにかく物悲しい。映画中盤で一人部屋で拳銃を頭に当てるシーンもあるが、この最後の時は、屋外で自分の腹に打ち込んだ。だからフィンセントは数日生きている。狭い下宿部屋のベッドに寝かされて、皆が起きると死んでいる。その無惨で美しくない死に様がフィンセントの苦悩を深く表している。
また映画はこのフィンセントの死で終わるが、このヴィンセントが死んで1年後に弟のテオも亡くなっていることは全く感慨深い。



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