2013年11月3日日曜日

「セブン」狂気への誘惑、そしてあまりに深い絶望


何故、この映画は、恐ろしく残酷でむごたらしい話なのに、こんなにも惹かれてしまうのだろう。。。

犯人は人を殺すことを楽しむサイコパスだ。
その犯行は、あまりに残虐で反社会的な行為である。
そして救いようがなく、悲劇的で惨たらしい結末。
本当に全くもって辛い酷い話なのである。
だけれども、僕はこの映画が好きだ。
何故なのだ!?

もちろん、この映画の美しい映像に惹かれる。

まずは冒頭の犯人の狂気を予感させるオープニング。細かい字でびっしりと埋め尽くされていく手書きの紙。その紙の一枚一枚を紐で編んでゆく傷だらけの指先。髪の毛やカミソリなどのクローズアップ。そこにスクラッチされるクレジット。それらカットの断片がわざと見えづらく神経質にモンタージュされていく。。。1995年の公開当時、このカイル・クーパーのタイポグラフィーは、映画のタイトルバックの作り方を革命したエポックメイキング的なものだった。

そして暗いニューヨークの路地裏、じとじとと降りしきる雨。汚れてカビ臭い建物の中で起きる薄気味悪い殺人事件。暗がりに緑のデスクライトがおぼろげに並ぶ図書館の静寂とそこに流れるG線上のアリア。古典の書物から拾われていく深淵な言葉。地下鉄の振動で絶え間なく揺れている部屋。などなど。。。それらシーンが、レンブラントの絵画のような光と陰のコントラストの強い映像で積み重ねられてゆき、閉塞感や緊張感を増していく。実にうまい。

また、淡々と語られるストーリーにも引き込まれる。

殺人課に新任した正義感に燃える血の気が多い刑事のミルズ(ブラッド・ピット)と、退職を1週間後に控えた寡黙で老獪なサマセット(モーガン・フリーマン)が、事件現場の謎をしたたかに解き明かしていくミステリー。そして、頭脳派の犯人が、より上手に追跡のヒントを現場に残しながら予告通り殺人を成し遂げていくスリラー。更に、犯罪に秘められた七つの大罪という人間の原罪を裁く深淵なテーマ。
ラストあっと驚く脚本と、そこに到達させるエモーショナルを完璧に具象化した完璧主義のデイビッド・フィンチャー監督。全てが素晴らしい。

だが、この映画が、単に怖くてハラハラする面白い話だけでなく、心に突き刺さって残るのは、犯人の恐ろしい狂気にいつか惹かれてしまうところだろう。
この映画を見ていると、全く不謹慎な話なのだが、正直、犯罪者を暴きたいという欲求と共に、この犯人が、ミルズたちの追跡を逃れ、見事7つの大罪(暴食、強欲、怠惰、肉欲、高慢、妬み、憤怒)の殺人を完璧に成し遂げることに、いつか期待してしまっている。
その瞬間、自分も狂気という悪魔に魅了されていることを否定できない。
この映画は、犯人と同様に、どんな人にも秘められた"狂気"を揺り動かし、まさに人の”大罪”を暴き、問う物語なのだ。

その"狂気"に魅せられる一番の代表者が、この映画の主人公、ミルズだ。
彼の狂気は、犯人を捕まえるという行為の虜になること。
この、ミルズの犯人を捕えるという闘志、好奇心、それこそが犯人のジョン(ケヴィン・スペイシー)、もしくは物語の作り手がが仕掛けた恐ろしい罠なのだ。

この追跡にのめり込んだ代償、それはミルズにとって最も大切な人、妻の死だ。
犯人のジョンは、ミルズの最愛の妻を殺す。
しかし、そのジョンの殺人を招いたのは、ほかならぬジョンを追跡したミルズ自身だったのだ。
犯人を見つけ出し捕えるという自分の仕事が、我が妻の死を招いてしまった。
自分がその衝動にのめり込んだばかりに、妻は悲惨にも死ななければならなかったとは。。。

妻を守るべき自分が、全く逆の行動をとっていて、それが、取り返しのつかない恐ろしい結果を招いたこと。そこに気付いた瞬間、これほどの絶望があるだろうか。
ミルズは、サマセットの制止を振り切り、ジョンを撃ち殺す。
最後に残った大罪「憤怒」である。
七つの大罪の殺人は、ミルズによって完結し、全ての裁きが成し遂げられた。。。
ミルズは、確かにジョンを捕らえることはできた。しかし、全てはジョンの思惑通り。この狂気のゲームに勝ったのはジョンだったのだ。
犯人は裁かれて死んだ。だが最後に残るのは、ただただ、深い絶望である ───。

これはジキル氏という自分の中の、ハイド氏の存在証明が行われる映画である。
人は、主人公と共に、自分の中のハイド氏の息遣いに気付く。
実は密かにハイド氏の狂気に魅惑を覚える自分がどこかにいるのだ。
自分の中の悪魔、狂気に気付かせる映画。。。
この映画は、全くもって危険で、挑戦的な映画だ。
これは、自分の中に潜む、悪、狂気に対峙するための、己の挑戦なのだ。
誰しもが秘める人間の大罪に対してどう対峙するかが投げかけられる。

自分の中で寝むっている狂気が、ぞぞぞと動き始める。その狂気の代償は生半可なものではない 。
自分の狂気は、自分の最愛のものを奪うことになる。
地獄に落ちるぞ!そのまま眠らせておけよ、しっかりと ───。

自分のなかに潜む狂気の度合いを確かめたいか?
ならば、「セブン」をおすすめする。
けれど、自分がその狂気の魅惑に勝てなそうな人は、この映画は絶対に見ないでください。

さあ、地獄に落ちる前に、絶望を思い知りたいなら、「セブン」にしやがれ!


追伸1
感情で生きているミルズに対し、感情を押し殺して生きているサマセット。この心の闇を抱えたまま静かに生きるサマセットも実にいい。
彼は、日頃から人間の恐ろしさに絶望している。いくら身を粉にしてもそれを人々を救う事はほとんどできない。
そう思いながらも知的探求に富み、恐ろしい事件の推理を組み立てていく渋く格好いいキャラクターと、それを演じるモーガンの品のよさが、この映画の品を更に高めている。
メモりたくなるサマセットの台詞。
「大事なのは何か一つをみつけて、それをくさるまで追求することだ」
「産まないつもりなら妊娠は内緒にしろ。だが子供を産むなら、精一杯甘やかして育ててやれ」
「ヘミングウェイが書いていた。「この世は素晴らしい。戦う価値があると」後の部分は賛成だ」

追伸2
犯人ジョン・ドゥ役のケヴィン・スペイシーは、さながらジョーズのようだ。映画の中でほとんど姿が見えない。けれども犯罪者としてかなりのインパクトがある。ジョーズにしても、エイリアンにしても、ほとんど見えない、だからこそ怖いというのは映画の鉄則なのかもしれない。



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