2014年1月20日月曜日

「イヴォンヌの香り」夢のような美女との恍惚な一夏



「愛し過ぎるか、愛が足りないのが人間だ」

いい。。。
イヴォンヌとの一夏の情事。
この映画を見れば、なまめかしいイヴォンヌに、思わず恋してしまうだろう。
ヒロインをエロティックに撮ることについて、この映画は完璧だ。
この映画は、限られた映画の時間から、より多くの官能的な空気を発しようとしている。
官能的な映画の極み。
上品にいやらしい、大人の映画である。

舞台はスイスの片田舎のリゾート地。
主人公は、富豪の両親の遺産を食いつぶしながら、避暑地でなにもせずにぶらぶらしているヤサ男のロシア人。
(二枚目でないのがうまい)
彼はそんな贅沢な境遇に飽きあきもしている。
そこに現れたのが自称女優の美しいイヴォンヌだ。
登場シーンがうまい。
セクシーな犬、ダルメシアンを連れて歩くサングラスの女。
見知らぬ犬はまるで飼い主かのように男の足元に座り込む。毛が短い犬の身体は裸の女を連想させる。
続いて現れるイヴォンヌ。背中が大きく開いた白いドレス。まるで美女が突如、裸で目の前に立ったような錯覚を抱かせる。
こんなシチュエーション、男なら誰もが恋に落ちてしまうだろう。

とにかく、イヴォンヌのエロティックさを魅せるシーンが素晴らしい。
例えば、湖の船の遊覧に出かけた二人。
男が8ミリカメラでイヴォンヌを撮っている。
イヴォンヌはおもむろにパンティーを脱いで男に渡す。
船のデッキの上、男はイヴォンヌから少し離れ、彼女を眺める。
湖を見つめるイヴォンヌ、風が吹き抜け、スカートがひらひらと舞う。
そのスカートの隙間から、イヴォンヌの美しい裸のお尻がちらちらと見える ───。
そのばかばかしくもチャーミングで大胆なイヴォンヌのふるまいに、くらりとめまいがするシーンだ。

しかし短い夏は終わる。
その破綻は、男が本気でイヴォンヌと生きようと思い始めたことから始まった。
イヴォンヌの叔父がぼつりと漏らす。
「その日暮らししかできない女だ」
その一言が、ほってた頭に冷水を掛ける。
なまめかしい美しさの下に潜んでいる現実の姿。
美しきイヴォンヌ、それは現実には生きれない夢の中の女なのだ。
恍惚な時間は、一時だからこそ美しい。
自らの力で糧を得ることを恐れるイヴォンヌは、一緒にアメリカに行こうと言い始めた男の前から突如消える。
エロティックとは、現実には生きられない儚い夢のようなものなのかもしれない。
浮世離れした世界にいるからこそ、イヴォンヌは美しくエロティックなのだ。

「愛し過ぎるか、愛が足りないのが人間だ」
イヴォンヌを失ったパトロンの初老の教授は、そう言い残して死ぬ。
僕は愛が強過ぎる人たちのドラマが好きだ。
愛が強過ぎる人たちは必ず破滅する。
しかし愛の情熱を燃やす人間はあまりに美しい。

だが教授のこの言葉をより理解しようと努めるなら、人には、愛が強すぎて破滅するか、愛が乏しいまま生き続けるか、恐ろしい選択しか残されていないことになる。。。
イヴォンヌを失った主人公は、火がついた心を燃やし、生を渇望したのにも関わらず、破滅することもできず、ただ萎えて呆然と佇む。
ある意味、この映画は愛を強くあろうとして果たせなかった男の悲劇なのかもしれない。

叶うのなら、夏の終わり ───
ガラガラの映画館、一人片隅に座って、幻の美女イヴォンヌを眺めていたい。
決して手にはできない美女を心ゆくまで堪能できるできるだろう。
美しくエロティックなヒロインと、短くも静かに燃え上がる、恍惚な一時を過ごしたいなら、、、 「イヴォンヌの香り」にしやがれ!


追記
本監督はフランス人のパトリス・ルコント。やはり髪結いに恋してしまう「髪結いの亭主(1990年)」も大好き。またお勧めは「歓楽通り(2002年)」。
ちなみに本作は女優さんのセクシーショットお決まりの、車を磨くシーンもあります。1994年作品。

0 件のコメント:

コメントを投稿